北野武『TAKESHIS'』を観る。

うーん、北野映画の集大成だとかアーカイヴだとか擬似ドキュメンタリーだとかメタ北野武(ノリツッコミ?)だとかだとか北野武版『映画史』だとか……まあ諸説いろいろあるし深読みしだしたらキリがないんだろうけど、でも観終わった素直な印象としては「編集をやりすぎて収拾つかなくなった」とか「もうまともなオリジナルの『お話』を作れなくなるほど映画作家として衰弱した」とか「これがほんとの“北野ブルー(色彩じゃないよ)”だな」とかそんなネガティヴなものしかなかったな。それを「夢を映像化」だとか「“理解する”より“感じろ”」とかって苦し紛れのごまかしをしてるような。ギャグはことごとく滑るしやたらめったらドンパチやりまくるしもう「サムい」も「イタい」も通り越してただただ徒労感だけが残るような鼻息荒いだけのED状態。これはもう破壊でもなんでもないよね。散らかしてるだけで再構築できてないんだもん。映画でも映像詩でもない。想像・創造力の欠如なのかボロが出てしまったのかそれともこんなものでもそれなりに評価されてしまうほど(賛否両論、というのも評価されてる証だろう)「大御所」として認められてしまったということなのかな。はっきりいって京野ことみのヌードぐらいしか『TAKESHIS'』の売りはないんじゃないかなあと思う。北野武版『マルコヴィッチの穴』というか北野武の頭の中にビートたけしの頭の中に北野武の頭の中にビートたけしの頭の中に……みたいな虚実が入れ子状態にメタフィクション化したメタドキュメンタリーなのかな?と観る前は楽しみにしてたんだけどなあ。というかやっぱたけしは映画監督としては生真面目でとても実直なひとなんだよね元来。ぜんぜん破天荒でも型破りでもない。だから変に力んで壊そう壊そうとするとこうなってしまう。そこがまたたけしの愛らしさでもあるんだけど。